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長さ100mにも及ぶ舞台づくりにかける熱い思い

高さ10mを超える大きな舞台装置「大山」を人力で上げる若者たち。見ている観衆も思わず手に力が入ってしまうような迫力がある祭り、それが那須烏山市で毎年7月の第4土曜日を含む金曜日から日曜日にかけて行われる「山あげ祭」です。
6つの町が持ちまわりで当番町を務め、この祭りの奉納余興を取り仕切ります。2017年は仲町が当番町になっており、その筆頭世話人が島崎健一さんです。
「山あげ祭は、全国でも珍しい移動式野外歌舞伎舞踊です。約450年の歴史があり、自分たちも子どもの頃から慣れ親しんできました」と島崎さん。お祭りは、室町時代の永禄3(1560)年に烏山城主・那須資胤(なすすけたね)が、城下に牛頭天王(ごずてんのう)をお祀りし、疫病防除などを祈願したのが始まりといわれています。
舞台装置は、長さ100mにも及び、御拝(屋台)、舞台、座敷、波、館、そして山(前山、中山、大山)などが並びます。屋台は江戸~明治時代に作られ、ソロバンと呼ばれる道具を使い、屋台の前の部分をスライドさせて舞台を作る構造。1日5~6回、町中を移動してすばやく舞台を組み立て、舞台上では歌舞伎舞踊を演じます。終演したら解体し、新しい場所でまた組み立てるという作業の繰り返し。歌舞伎舞踊の開始時間が決まっているので、いかに手際よく設営するかが重要です。これらを担当するのが、若衆と呼ばれる当番町の約100人の若者たち。若衆のリーダー格である木頭の拍子木と笛の音だけを合図に、若衆たちは一糸乱れぬ動きを見せます。世話人とは、若衆をまとめる責任者ともいえる立場で、仲町では島崎さんのほか、阿相政敏さん、山内崇さん、小堀直亮さんの4人がいます。世話人の正装は浴衣の上に羽織をまとい、頭の上にはカンカン帽。「なぜカンカン帽をかぶるようになったのかは知りませんが、昭和の初めにはすでにこの格好になっていますね。多分、大正デモクラシーの影響じゃないでしょうか」と島崎さん。
歌舞伎舞踊と常磐津は、地元の烏山山あげ保存会の芸能部会の人たちによって演じられます。お師匠さんの指導のもと、年間を通して厳しい練習に明け暮れ、この日が晴れの舞台となるのです。歌舞伎舞踊の演目は、「将門」「戻橋」「蛇姫様」「吉野山狐忠信」などがあり、町によって得意とする演目が違い、仲町は「戻橋」とか。太夫(たゆう)座敷には、三味線の2人、唄の3人が座わり、常磐津の三味線、唄に合わせて、踊り子たちの美しい舞が披露されます。
祭りが終わると、すぐに翌年の当番町の若衆は準備を始めます。舞台などは修理で済ませますが、山はすべて新しく作り直します。まず、演目に合わせて山に描く絵の構想を練ることから始まります。そして、翌年の3月ごろから土日や平日の夜を利用して山の制作を開始。「巨大なものだけに、正直作るのは大変です。地元に残っている若者が少なく、都会に出ている若者に戻ってもらっているほか、烏山山あげ保存会の人の助けも借ります」。
山は、竹を編んだ網代を山の大きさに合わせて切り、地元特産の和紙を貼っていきます。薄い和紙から徐々に厚い和紙へと幾重にも貼って、最後に山水の絵を描きます。
烏山の山あげ行事は、全国33の祭礼行事で構成される「山・鉾・屋台行事」として、2016年12月にユネスコ無形文化遺産に登録されました。「今年は、ユネスコに登録されてから初めての祭りになります。全国のみなさんにぜひ訪れてほしいですね」と、島崎さんはさらに盛り上がっていくことを期待しています。
島崎 健一
しまざき けんいち
嘉永2(1849)年に島崎彦兵衛が創業した島崎酒造の6代目社長。主要ブランドは「東力士」。日光がまったく差し込まない洞窟で熟成させた珍しい「長期熟成酒」も製造。山あげ祭は小さい頃から見ており、早く若衆として活躍できる日を夢見ていた。父親の利雄さんは、烏山山あげ保存会会長。
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