EN

27台の彫刻屋台が集まる“繰り込み”は、豪華そのもの

白い牙をむき出す獅子、玉を奪い合う龍、リスを追いかける鷹など、あらゆるところに見事な透かし彫りが施されている鹿沼の彫刻屋台。これらの屋台は毎年10月第2土・日曜日、今宮神社に奉納する「鹿沼秋まつり」で曳かれています。
「鹿沼いまみや付け祭り保存会」の会長代行としてこの祭りを取り仕切っているのが、神山勝利さん。「小さな頃からお祭りが大好きでした。両親の話によると3歳の頃にはお囃子の音が聞こえると、大泣きしていたのにピタッと泣きやんだといいます」と微笑みます。この祭りは、全国33の祭礼行事で構成される「山・鉾・屋台行事」のひとつとして、「鹿沼今宮神社祭の屋台行事」の名称で、2016年12月にユネスコ無形文化遺産に登録されました。
はじまりは、慶長13(1608)年に氏子の人たちが今宮神社に集まって、雨乞いをしたときに激しい雷雨がおこってからといわれます。昔から木材の集積地として栄えていた鹿沼市。良材が手に入ったお陰で木工の町として栄え、江戸時代には多くの彫刻屋台が作られました。
また、鹿沼は江戸と日光を結ぶ日光道中壬生通りの宿場町でした。日光東照宮で彫刻を彫っていた職人が、江戸に帰る途中で彫ったり、江戸からやってきて大きな商店に泊り込んで彫ったといわれています。なかには20年以上かかって作られた手が込んだものもあります。日光東照宮五重の塔の彫物方頭領である後藤周二正秀も上田町や仲町の屋台を手がけました。上田町の屋台は残念ながら焼失しましたが、昭和28年に再建しました。
市内中心部の氏子町は34ありますが、そのうち屋台を持っているのは27町内。氏子町は4つの地域(上組、下組、田町下組、田町上組)に分かれ、4年に一度ずつ当番組を務めています。
屋台は、「彩色彫刻漆塗屋台」「白木彫刻漆塗屋台」「白木彫刻白木造屋台」の3種類があります。もともとは、あでやかな色と漆が使われていた「彩色彫刻漆塗屋台」でしたが、文政・天保の改革で華美な祭礼が禁止になり、白木づくりが中心になりました。そこで彫刻師は、白木でも豪華に見えるように細かい細工を施した彫刻で腕を振るったといいます。すべて釘を使わずに組み立てており、以前は解体して保管していたとか。現在は、組み立てたまま収蔵庫で保管し、一部は展示されています。
最大の見せ場は、初日に行われる「繰り込み」と呼ばれる行事。町内を曳きまわしていた27台の屋台が、一番町から順番に今宮神社に集結します。氏子町の参加者だけで、約3,000人。観光客を入れると何万人もの人が集まります。日没後に提灯にロウソクの火が入ると、とても幻想的な世界に心を奪われます。
もうひとつの見せ場は、「ぶっつけ」。各屋台には、笛、鉦(かね)、太鼓の楽器を演奏する5人が乗っています。お囃子は、34団体ある鹿沼屋台囃子保存会が担当。複数の屋台が交差点に差しかかると、お囃子を激しく演奏し合うのが「ぶっつけ」です。お囃子をぶつけ合うところから、その名がつきました。「江戸ばか」「昇殿」「神田丸」「鎌倉」「四丁目」のお囃子をランダムに、相手のお囃子とかぶらないように競演します。その迫力あるお囃子の戦いには観客も圧倒されます。
祭りの準備は5月から始まり、会議には100人くらいが集まって約30回開催。それだけ鹿沼の人はこの祭りに賭けているともいえます。「どこも自分の町の屋台がいちばんだと自慢しています。今年はユネスコ登録初年度なので、これまで以上に鹿沼に来てほしいですね」と期待している神山さんです。
神山 勝利
かみやま かつとし
日本酒やビールをろ過する工業用のフィルターを作っている有限会社カヌマ紙工代表取締役。鹿沼市の中心部で生まれ、小さな頃から鹿沼秋祭りがやってくる日を楽しみにしていた。下横町に生まれ、現在は上田町に在住。昨年3月より鹿沼いまみや付け祭り保存会の会長代行を務める。
一覧に戻る